瀬織津姫へ参拝のため、武蔵国一之宮 小野神社に行ってまいりました!
みなさんは、『大祓詞(おおはらえのことば)』をご存じでしょうか。
———–
『大祓詞(おおはらえのことば)』は、神道の祭祀に用いられる祝詞の一つである。
元々は毎年6月と12月の末日に行われる大祓で、犯した罪・穢れを祓うために唱えられた祝詞。
『延喜式』巻八「祝詞」には「六月晦大祓」として記載されており、「十二月も此に准へ」と注記がある。
今日使用されている大祓詞は「六月晦大祓」の祝詞を元にしたものである。前段では、葦原中国平定から天孫降臨し天孫が日本を治めることになるまでの日本神話の内容が語られ、国民が犯してしまう罪の内容を「天つ罪・国つ罪」として、罪の祓い方が述べられる。後段では、祓を行うと罪・穢れがどのように消滅するかが語られる。罪・穢れが消滅する様を様々な喩えで表現した後、四柱の祓戸神によって消え去る様子が述べられる。
(wikipedia引用)
———–
というわけで、神道の祭祀に用いられる祝詞です。
瀬織津姫とは、そんな『大祓詞(おおはらえのことば)』の中で、四柱の祓戸の大神として一番最初に出てくるのが瀬織津姫です。
大祓詞の中で、瀬織津姫は
『人々の罪を急流の川瀬にいる瀬織津姫が大海原に流し去ってくれる』
という場面で登場しています。
風土記や偽書とされた『ホツマツタエ』等には載っていますが、正式な歴史の中には何一つ出て来ない謎多き女神の瀬織津姫。
古事記や日本書紀には出てきませんが、絶大な人気を誇る瀬織津姫。
今回は、瀬織津姫へ参拝のため武蔵国一之宮 小野神社に行ってまいりました!
いざ武蔵国一之宮 小野神社へ!
———–
『小野神社とは』
当社は安寧天皇一八年二月初末の日御鎮座と伝えられ武蔵国開拓の祖神である天下春命(あめのしたはるのみこと)を主神として御奉祀申し上げて居る由緒ある神社である。
御社名は上代此地の呼び名であった小野の郷に由来するものであるが其の霊験の灼かなる神社としてやがて朝廷の上聞にも達せられ数々の奉幣にも預かり元慶八年七月には正五位上の神階を授けられた。
又、廷喜式が撰せられた折には武蔵国八座の一社として登載された。
且つ国府の近在なることに由いて国司や住民の崇敬も殊の他篤く総社六所宮創建の砌には東殿第一次の席を与えられて一之宮と称された。
然して当社の社伝には永承六年源頼義陸奥守に任せられて下向の途次其子義家と共に参籠され太刀一振りと詠歌一首奉納の事績が繙かれ吾妻鏡にも養和元年四月一宮は吉富井蓮光寺と併記され更に建久四年八月の刻印ある経筒の銘に一宮別当松連寺が記録されている。
稍時代も下り安居院の神道集並に深大寺の僧長弁の私案抄を尋ねると当社は中世以来文珠菩薩を本地となした信仰も行われていた。
斯くなる所此の近在は鎌倉末より戦国時代にかけて度々の戦乱や多摩川の氾濫があり当社にも多大の被災が及び衰微したが徳川二代将軍により造営再興された。
其の棟札に曰く
(公式サイトより引用)
———–
小野神社へのアクセスはこちらです。
【所在】
東京都多摩市一の宮1-18-8
【交通】
鉄道で …… 京王線 聖蹟桜ヶ丘駅より 徒歩6分
自動車で … 中央高速 国立府中インターより 約10分
聖蹟桜ヶ丘の駅から、徒歩で6分くらいのところにあります。
小野神社への小道は、小川が流れていてとても清々しいです。
まさに、瀬織津姫の神社にふさわしい場所です。
そして、天皇の家紋として知られている「菊花紋章」天皇家(十六弁八重表菊)紋のついた鳥居をくぐり、参拝します。
龍の形をした、しめ縄も特徴的です。
とても綺麗な建物です。
参拝後、小野神社に祭られているご祭神が書いてある看板を拝見。
【御祭神】
主祭神
・天ノ下春命
・瀬織津姫命
末社
・伊勢神宮内宮
・伊勢神宮外宮
・鹿島神社
・三嶋神社
・巌嶋神社
・安津神社
・子安神社
・方便神社
・日代神社
・愛宕神社
・八坂神社
・稲荷神社
・秋葉神社
・堰宮神社
瀬織津姫と一緒で主祭神とされている『天ノ下春命(あめのしたはるのみこと)』は、日本神話に登場する神です。
岩戸隠れの際に、天の安原に集まった八百万の神に天照大御神を岩戸の外に出すための知恵を授けたこととされている『天下春命八意思兼神(あめのやごころおもいかねのみこと)』の御子神です。
饒速日命が天降ったときに、護衛とした32柱の神のうちの1柱とされています。
開墾の神ともされています。
瀬織津姫が祀られている神社は東京には少なく貴重な体験でした。
以前は、天照大神の荒魂として伊勢神宮にもまつられていた謎多き女神の瀬織津姫。
とても清々しく心が洗われるような神社でした。
東京都内からも近く、聖蹟桜ヶ丘駅からも近いためとても行きやすい場所にありました。
みなさんも、是非行ってみてください!