日本の神社、伊勢神宮を目指して三重に行ってまいりました。
伊勢神宮は125社(内宮・外宮・14所の別宮・43所の摂社・24所の末社・42所の所管社)の集合体の総称で、全国約8万社もの神社の中心的存在で正式名称は「神宮」となります。
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伊勢神宮(いせじんぐう)は、日本の三重県伊勢市にある神社。正式名称は地名(伊勢)を冠しない「神宮」(じんぐう)であり、他の神宮と区別するために伊勢神宮と通称される。
「伊勢の神宮」、または親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも称される。古来、最高の特別格の宮とされ、現在は神社本庁の本宗(ほんそう。全ての神社の上に立つ神社)であり、「日本国民の総氏神」とされる。
律令国家体制における神祇体系のうちで最高位を占め、平安時代には二十二社の中の更に上七社の1社となった。また、神階が授与されたことのない神社の一つ。古代においては宇佐神宮、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟の一つとされた。明治時代から太平洋戦争前までの近代社格制度においては、全ての神社の上に位置する神社として社格の対象外とされた。
(Wikipediaより引用)
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今回は、伊勢神宮外宮(豊受大神宮)、猿田彦神社、伊勢神宮内宮(皇大神宮)の順でご紹介させていただきます!
まずは伊勢神宮外宮(豊受大神宮)へ
電車で伊勢市駅に到着し、徒歩ですぐの場所に伊勢神宮外宮はあります。
伊勢神宮外宮は、衣食住や産業の守り神「豊受大御神(とようけのおおみかみ)」をお祀りし、中心となる正宮と4つの別宮が鎮座する豊受大神宮。
外宮がおまつりする豊受大神(とようけおおみかみ)は、お米をはじめ衣食住やエネルギーの恵みを与えてくださる食と産業の守護神です。
今から約千五百年前、雄略(ゆうりゃく)天皇の御代(みよ)に丹波(たんば)の国、今の天野橋立(あまのはしだて)付近から天照大神のお食事をつかさどる、御饌都神(みけつかみ)としてお迎えしました。
豊受大御神は、スサノウと神大市比売の子で邇芸速日命の妹、稲荷神社の御祭神ウカノミタマと同一神いう噂もあります。
伊勢神宮外宮の名前の由来は「外にある宮」という意味で、実は内宮と同列ではない。
同敷地内にあり令和元年11月にリニューアル開館した「せんぐう館」では、式年遷宮など伊勢神宮の歴史が学べます。
まずは、手水舎(てみずしゃ)です。
神域へ入る前に手や口を洗い清める場所のことで、心身をきれいにして参拝へ向かうみたいです。※柄杓を撤去し、流水式の手水で対応。
手水舎をすぎて第一鳥居をくぐり中へと入っていきます。
鳥居をくぐる時は一礼して。
玉砂利を踏みしめ鳥居をくぐり、御正宮へ。
ここが豊受大神宮様の豊受大御神が祀られる、メインのお宮。最初に行くのが良いようです。
それにしても、とても清々しく素晴らしい場所です。
多賀宮や、土宮、風宮などを回り、神楽殿へ。
御祈祷の申し込み、外宮参拝記念の御朱印は神楽殿で行えるようです。
ぐるっと回り最後に、勾玉の形をした池、その名も勾玉池に到着。
ここでは、5月から6月にかけては約14000株の花菖蒲が咲き誇ります。
せんぐう館というミュージアムの近くで休憩。
次は、内宮に向かう途中にある『猿田彦神社』へ。
内宮と下宮は少し離れている場所にあり、車で10分から15分くらいです。
自家用車ではない場合は、タクシーかバスをご利用されると良いかと思います。
猿田彦神社
猿田彦神社は三重県伊勢市にある、猿田彦大神を祀っている神社です。
猿田彦神社という名前の神社は全国津々浦々にありますが、伊勢の猿田彦神社は伊勢神宮の近くに鎮座しているという点、見どころが多い点から多くの参拝者を集めています。
猿田彦大神とは?
日本神話の天孫降臨に登場する神様です。
天照大神に遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内し、その後五十鈴の川上を中心に開拓・経営に尽くした地主神とされています。
其鼻長七咫、背長七尺餘、當言七尋。且口尻明耀、眼如八咫鏡而赩然似赤酸醤也(鼻が異様に長く、背が2メートルもあり、目と口と尻が光っていて、目は八咫鏡のように大きく真ん丸で、眼が赤く光っている)で、外国人という説もある。
すべてのことに先駆け、人々を良い方向へ導くと言われていることから「みちひらきの神様」としての信仰も集めています。
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猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)は、三重県伊勢市の伊勢神宮内宮の近くにある神社である。猿田彦大神と、その子孫の大田命を祭神とする。旧社格は無格社(社格がないという意味ではなく「無格社」という社格)で、第二次世界大戦後は別表神社となった。
(Wikipediaより引用)
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日本神話では、瓊瓊杵尊を案内したのちに天岩戸隠れで踊り子として活躍したアメノウズメと一緒に暮らしたそうです。
アメノウズメは、名を佐瑠女と変えました。
今では、この猿田彦神社の横に佐瑠女神社として祀られています。
佐瑠女神社は芸能・スポーツ関係をはじめ、技芸の上達を祈る方々の参拝が絶えないようです。
猿田彦神社の説明に戻りまして、ご猿田彦神社の本殿の手前にあるのがこの八角形の石柱、方位石。
昔の神殿跡の印で“十干十二支(じゅっかんじゅうにし)”で方位が刻まれています。
猿田彦神社で最もパワーが集中するポイントのようです。
八角は方位を意味し、猿田彦大神の方位除の御神徳を仰ぐものです。
ほかにも手水舎の柱や大鳥居も八角形です。
伊勢神宮内宮(皇大神宮)へ
今回は、猿田彦神社から内宮まで歩いて行きました。
ちょっと遠いですが、途中に『おかげ横丁』があり、食べ歩きをして楽しめました。
とても風情のある店が並び、三重名物の松坂牛のお店もあり大満足です。
おかげ横丁を過ぎると、すぐ内宮の入り口となります。
まずは内宮の玄関口である宇治橋を渡ります。
宇治橋は日常の生活から神聖な世界へ渡る、風光明媚で大きな橋と言われています。
宇治橋を渡り、神様の庭である神苑を通ると右側に五十鈴川御手洗場が出てきます。
五十鈴川御手洗場は、かつての禊の場で近くに手水舎もあるが、ここで手を清めるのがならわしのようです。
私も手を清めてさらに進みます。
木々に囲まれた道を歩きついに御正宮に到着。
ここは、皇室の御祖神であり日本人の大御祖神である天照大御神をお祀りしています。
今から2000年前、皇位のしるしとして受け継がれる三種の神器の一つである八咫鏡をご神体として伊勢の地にお祀りし、国家の守護神として崇める伊勢信仰は平安末期より全国に広がりがみられました。現在でも全国の神社の本宗として特別に崇敬を集めます。
ここがメインであり、参拝するみなさんが目指している場所でもあります。
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天照大神(あまてらすおおみかみ、あまてらすおおかみ)または天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、日本神話に主神として登場する神。女神と解釈され、高天原を統べる主宰神で、皇祖神とされる。『記紀』においては、太陽神の性格と巫女の性格を併せ持つ存在として描かれている。神武天皇は来孫。
太陽神、農耕神、機織神など多様な神格を持つ。天岩戸の神隠れで有名な神で、神社としては三重県伊勢市にある伊勢神宮内宮が特に有名。
(Wikipediaより引用)
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伊勢神宮のメインに到着しましたが、伊勢神宮にはまだまだ良い場所があります。
蒙古襲来の際に神風を吹かせたとされている風日祈宮や、写真でよく見る神楽殿。
資料やお土産のある参集殿で休憩し、木華開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)がご祭神で子授け・安産の神様の子安神社などを見て回りました。
そして、私が一番楽しみにしていたのが下写真の『荒祭宮(あらまつりのみや)』です。
荒祭宮は、内宮に所属する十所の別宮のうち、第一に位しています。
殿舎の規模も他の別宮よりも大きく、正宮に次ぐ大きさです。
ご祭神は、天照大御神の荒御魂とされています。
神様の御魂のおだやかな働きを、「和御魂」と申し上げるのに対して、荒々しく格別に顕著なご神威をあらわされる御魂の働きを、「荒御魂」とたたえます。
現在は天照大御神の荒御魂とされていますが、以前は瀬織津姫がご祭神とされていたようです。
瀬織津姫とは?
瀬織津姫(せおりつひめ)は、神道の大祓詞に登場する神様で、古事記・日本書紀には記されていない神名です。
地球や命、私たちの生活にも必要な水。
人々の罪、穢れなどの不浄を海や川の水の勢いで清めてくださるという重要な役割を果たす神様。
天照大神の荒御魂(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ))とされることもある。
撞賢木厳之御魂天疎向津媛命をメインで祀っている神社もあり、古事記・日本書紀には記されていないのですが、とても人気のある神様です。
また、天照大神直下である祭祀王のスセリビメ、下照姫、御歳神が、瀬織津姫という役職を受け継いでいった。という噂もあります。
というわけで、伊勢神宮と猿田彦神社を大満喫しました!
行った事ある方も多いと思いますが、何度行っても良い場所の伊勢神宮。
是非とも行ってみてください!